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こんな涙腺崩壊する程に悲しい内容の曲なのに、聴いててどこか癒しを感じさせるのが、さださんがさださんである真骨頂だと思う。こんな曲作るからいつまで経ってもさださんから離れられない笑。
行ったことも見た事も場所なのになぜか情景が浮かんできますさださんの曲の中で好きな曲のベスト3です
この何とも表現しようのない世界観と風景は忘れることができません。僕は、戦争は反対です。
この歌いいですよね。古いアルバムを1頁ずつめくるように話が進んでいき聞く人の想像力を刺激させます。私はこんな感じ・・・~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~銀髪の老婦人が大河のほとりで夕陽に染まった二つの椅子をぼんやりみている。柔和な表情の目に流れる一筋の涙遠くの記憶を辿るようにゆっくりと瞬きをした。あれはもう・・・・70年以上も遠い昔のこと~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~その若者に出会ったのは、彼女が二十歳のとき港に停泊したイギリス船から大きな手荷物とカメラを持っておりてきたのがはじまり。和服姿の日本女性が珍しいのか、娘にカメラを向けた。見知らぬ男に身構える娘に人懐こい笑みを浮かべ、非礼をわび食事に誘った。名前はフレドリック年齢は30才位だろうか、英国の通信記者をしていた。背が高く無口だが笑顔を絶やさない青年だった。漢口は当時、英国・仏国・日本・独国・露国といくつもの租界に分かれていた。それがアヘン戦争後の中国の姿だった。何か矛盾を感じながら何が悪いことなのか誰も考えないまま時が流れていた。・・・・・・<以下省略>そんなストーリーを思い浮かべながら私も歌ってみました。
2000 katakurijp さんのストーリー、素敵ですよね。
@@koko5050_side2 続き何か矛盾を感じながら何が悪いことなのか誰も考えないまま時が流れていた。この青年はそれぞれの租界の異国ムードの違いを眺めて歩くのが好きだった。日本人の娘に興味を持ったのも東洋の果ての日本の文化に興味があったからかもしれない。日本の租界を娘に案内してもらい、民具を子供のように珍しがりカメラを向けた。扇子に書かれている絵柄に興味をもち、からくり人形に驚いていた。娘もそんな青年の笑顔をみていると心がはずんだ。~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ある日曜日、誘われるままにフランス租界の一番大きな教会の早朝ミサに立ち寄った。いつになく真剣な表情で司祭の説法に耳を傾け、賛美歌を唄いそして祈った。難しい世の中になり、国と国とのエゴがむきだしになりつつある時代だった。好むとこの好まざるとにかかわらず、国境の壁を意識しなければならない情勢になっていた。教会内の脇にあるキリストの十字架に向かい二人の夢を祈りキャンドルの灯を捧げた。数日後、青年は日本租界の日本の駐留軍の取材中、消息が途絶えた。太平洋戦争末期、米軍のB29により駐留日本軍とともに焼夷弾で漢口の街の全てが焼けつくされた。~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ 長い夢からさめたように老婦人は港を後にした。すっかり変わった町並みをたどり、小さな教会に向かった。彼女は墓碑に祈りを捧げ一枚の写真を添えた。それはフランス租界の教会で祈った ささやかな二人の夢。
何度聴いても切なくて一番好きな歌です。
音がすごくいい!!いいスピーカーで聴きたいですね、いや、実にいい音源、ありがとうございます。
さだまさしの母親が、漢口でドイツ人だったフレディと結婚していたなら、さだまさしはハーフたったはず。戦禍が、2人を引き裂いてしまったのだろう。母親の思い出を込めて制作した名曲だ。当時の情景が目に浮かぶ。😊
この曲は、さだまさしの母親の実際の恋の話しらしい。フレディはドイツ人だったらしい。結婚寸前で彼は戦禍に呑まれ亡くなったのだ。母親が、彼の思い出を息子のさだまさしに曲を作らせたらしい。😊
懐かしい。『三年坂』、名盤だ。
永遠に失われてしまった夢や恋や愛というものを胸に抱いて、それでも人は生きて行かなければならない。正直言って辛いものであって。くじけそうなところを生きている。ここではきれいごとは言えない。美しい言葉と美しいメロディーに乗せて、今だったら泣いてもいいのだろう。
さだ氏でなければ書けない楽曲ですよ。ところで最後、歌詞を間違えてますね?ホントはぁ〜「なっていたはずだった」となるはずだった(笑)
あら、ほんと!
さだまさしさんの曲誰にも真似ができないフレディに限らず素晴らしいですね憧れます
私もそう思いますが、それもLIVEのいいところ。
「」@@koko5050_side2
間違いではなく、この時点ではこの歌詞だったと考えるべきでしょう。スタジオ盤を録音したとき、修正したのでしょう。それを言うなら、2番の「燃え上がる赤い炎の中で」もスタジオ盤では「燃え上がる赤い炎の中を」です。
😢
若い方は知らないでしょうが、漢口上空で飛び交う戦闘機も爆撃機も日本に軍隊だったんです。フレディーを奪ったのは日本の戦闘機(ゼロ戦)なのです。さださんの訴えたいこと考えましょう。
さだまさしさんは当時のアルバムで解説しています。母の証言でこの空襲の戦闘機とは、当時アメリカが中国に供与していた爆撃機 B24『コンシリーデーデット』だと。母の娘時代、午後3時に決まってコンソリーデーデットが空襲にやってきた。だから3時のオヤツの事をコンソリーデーッットと揶揄していたと。
日本が基地を作り勢力下に置いている都市を自ら爆撃するでしょうかね?これはアメリカ軍が漢口にある日本の基地と市街地を無差別爆撃した時のエピソードですよ。
「三年坂」五十年近く昔に私が初めて小遣いで買ったLPアルバムです。😢😢😢❤中学一年だったな...😢😢😢
名曲中の名曲😭
こんな涙腺崩壊する程に悲しい内容の曲なのに、聴いててどこか癒しを感じさせるのが、さださんがさださんである真骨頂だと思う。
こんな曲作るからいつまで経ってもさださんから離れられない笑。
行ったことも見た事も場所なのになぜか情景が浮かんできます
さださんの曲の中で好きな曲のベスト3です
この何とも表現しようのない世界観と風景は忘れることができません。
僕は、戦争は反対です。
この歌いいですよね。
古いアルバムを1頁ずつめくるように話が進んでいき聞く人の想像力を刺激させます。
私はこんな感じ・・・
~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~
銀髪の老婦人が大河のほとりで夕陽に染まった二つの椅子をぼんやりみている。
柔和な表情の目に流れる一筋の涙
遠くの記憶を辿るようにゆっくりと瞬きをした。
あれはもう・・・・70年以上も遠い昔のこと
~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~
その若者に出会ったのは、彼女が二十歳のとき
港に停泊したイギリス船から大きな手荷物とカメラを持っておりてきたのがはじまり。
和服姿の日本女性が珍しいのか、娘にカメラを向けた。
見知らぬ男に身構える娘に人懐こい笑みを浮かべ、非礼をわび食事に誘った。名前はフレドリック年齢は30才位だろうか、英国の通信記者をしていた。
背が高く無口だが笑顔を絶やさない青年だった。
漢口は当時、英国・仏国・日本・独国・露国といくつもの租界に分かれていた。
それがアヘン戦争後の中国の姿だった。
何か矛盾を感じながら何が悪いことなのか誰も考えないまま時が流れていた。・・・・・・<以下省略>
そんなストーリーを思い浮かべながら私も歌ってみました。
2000 katakurijp さんのストーリー、素敵ですよね。
@@koko5050_side2 続き
何か矛盾を感じながら何が悪いことなのか誰も考えないまま時が流れていた。
この青年はそれぞれの租界の異国ムードの違いを眺めて歩くのが好きだった。
日本人の娘に興味を持ったのも東洋の果ての日本の文化に興味があったからかもしれない。
日本の租界を娘に案内してもらい、民具を子供のように珍しがりカメラを向けた。
扇子に書かれている絵柄に興味をもち、からくり人形に驚いていた。
娘もそんな青年の笑顔をみていると心がはずんだ。
~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~ ☆ ~
ある日曜日、誘われるままにフランス租界の一番大きな教会の早朝ミサに立ち寄った。
いつになく真剣な表情で司祭の説法に耳を傾け、賛美歌を唄いそして祈った。
難しい世の中になり、国と国とのエゴがむきだしになりつつある時代だった。
好むとこの好まざるとにかかわらず、国境の壁を意識しなければならない情勢になっていた。
教会内の脇にあるキリストの十字架に向かい二人の夢を祈りキャンドルの灯を捧げた。
数日後、青年は日本租界の日本の駐留軍の取材中、消息が途絶えた。
太平洋戦争末期、米軍のB29により駐留日本軍とともに焼夷弾で漢口の街の全てが焼けつくされた。
~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~ ★ ~
長い夢からさめたように老婦人は港を後にした。
すっかり変わった町並みをたどり、小さな教会に向かった。彼女は墓碑に祈りを捧げ一枚の写真を添えた。
それはフランス租界の教会で祈った
ささやかな二人の夢。
何度聴いても切なくて一番好きな歌です。
音がすごくいい!!
いいスピーカーで聴きたいですね、いや、実にいい音源、ありがとうございます。
さだまさしの母親が、漢口でドイツ人だったフレディと結婚していたなら、さだまさしはハーフたったはず。戦禍が、2人を引き裂いてしまったのだろう。母親の思い出を込めて制作した名曲だ。当時の情景が目に浮かぶ。😊
この曲は、さだまさしの母親の実際の恋の話しらしい。フレディはドイツ人だったらしい。結婚寸前で彼は戦禍に呑まれ亡くなったのだ。母親が、彼の思い出を息子のさだまさしに曲を作らせたらしい。😊
懐かしい。『三年坂』、名盤だ。
永遠に失われてしまった夢や恋や愛というものを胸に抱いて、それでも人は生きて行かなければならない。
正直言って辛いものであって。くじけそうなところを生きている。ここではきれいごとは言えない。
美しい言葉と美しいメロディーに乗せて、今だったら泣いてもいいのだろう。
さだ氏でなければ書けない楽曲ですよ。
ところで最後、歌詞を間違えてますね?
ホントはぁ〜
「なっていたはずだった」となるはずだった(笑)
あら、ほんと!
さだまさしさんの曲
誰にも真似ができないフレディに限らず
素晴らしいですね
憧れます
私もそう思いますが、それもLIVEのいいところ。
「」@@koko5050_side2
間違いではなく、この時点ではこの歌詞だったと考えるべきでしょう。
スタジオ盤を録音したとき、修正したのでしょう。
それを言うなら、2番の「燃え上がる赤い炎の中で」もスタジオ盤では「燃え上がる赤い炎の中を」です。
😢
若い方は知らないでしょうが、漢口上空で飛び交う戦闘機も爆撃機も日本に軍隊だったんです。
フレディーを奪ったのは日本の戦闘機(ゼロ戦)なのです。
さださんの訴えたいこと考えましょう。
さだまさしさんは当時のアルバムで解説しています。
母の証言でこの空襲の戦闘機とは、当時アメリカが中国に供与していた爆撃機 B24『コンシリーデーデット』だと。
母の娘時代、午後3時に決まってコンソリーデーデットが空襲にやってきた。
だから3時のオヤツの事をコンソリーデーッットと揶揄していたと。
日本が基地を作り勢力下に置いている都市を自ら爆撃するでしょうかね?
これはアメリカ軍が漢口にある日本の基地と市街地を無差別爆撃した時のエピソードですよ。
「三年坂」
五十年近く昔に私が初めて小遣いで買ったLPアルバムです。😢😢😢❤
中学一年だったな...😢😢😢
名曲中の名曲😭